基礎集中・臨床研修講座

基礎集中・臨床研修共に、鍼灸の資格を持っている人が、受講する講座ということになっています。割合と多くの受講生が、自分の治療院を開いていて、ある程度の臨床経験を積んでいます。そんな受講生達が、研修を続けていくと、口を揃えて同じようなことを言います。今日の研修終わりの反省会でも、そんな話が出ました。「今までも患者さんを治療してましたが、研修するようになって、変な話ですが、患者さんが治るようになったんです。そうしたら、新しい患者さんが来るようになったんです。」恐らく、多くの人がこの研修生の言っている意味を理解できないのだろうと思います。そこで今日はこんな例を使って話してみました。つい先日全米オープンで準優勝した錦織圭君がブログで、こんなことを言っていたそうです。マイケルチャンコーチについてから、まるで中学生の部活のような基本練習をひたすら繰り返して泣きそうだけど、結果が出るから続けてます。そんな内容だったと思います。世界でトップテンに入るような選手が、中学生のような基本を素直にできること、そこがポイントでしょう。これまで私が見てきた印象で言えば、甘く見積もって10人に1人、学校で教えている印象では50人に1人、2人しか、この中学生みたいな繰り返し練習をすることができないでしょう。やってきたという思いがあればあるほど、シンプルな繰り返し練習など、馬鹿馬鹿しくてやってられるか、ということになるものです。錦織君が壁を破ったのは、特別な練習でも、特別な技でもなく、馬鹿馬鹿しいくらいの単純な繰り返し練習を、誰よりもすること、それ以外にはないということを、心に刻まなければなりません。治療のための練習は、学生にするものも、臨床経験者がするものも、違いはありません。ただ人によって身に付ける時間が異なるだけです。それをひたすら続けることができるか、そこだけなのです。ただ続けた時にだけ、本人が実感できるのです。錦織圭君と同じ感覚を。けれども、先に書きましたが、ほとんどの人が、できないのも事実なのです。それを、治療家の我、と言います。そう積なのです。別の言い方では、プライド、とも言います。治療家の我については、また次の稿で、お話しします。

今日の臨床研修講座より