基礎集中・臨床研修講座

個々の現象も、それのみを切り離して、詳しく分析していけば、どういうことが、起こっているのか、ある程度は、解明することが、可能でしょう。ところが、それが、視点を大きく広げて、より全体の動きとして、捉えようとすると、それは、急激に複雑になり、正に、カオス、状態になってしまいます。自然を理解する難しさが、そこには、あります。例えば、気象などは、一つ一つの現象を、切り出せば、それは、物理現象として、説明することが、できます。でも、それが、全体として動いた場合、スーパーコンピューターでも、予想は、難しくなってきます。ただ、だからといって、局所的な現象のみに、限定して理解しようとするのも、問題があります。地球が、個々のパーツから組上がっているのでは、ないので、完全に分離して、事象を考えることが、できないのです。そうしたことを考えて、できるだけ広範囲に、観測点が、設けられているのでしょう。さて、私達のからだも、より細かく、各部位に焦点を当てて、起こっている現象を、理解していくことは、出来ないことでは、ないでしょう。例えば、痛みの原因と思われる場所を、特定して、筋肉や神経の働きから、説明することは、可能です。その理屈から言えば、そこを除去してしまえば、問題は、解消されるはずです。ところが、現実の事態は、それほど単純には、運んでくれないのです。痛み、という現象、一つ捉えても、局所的要因のみで、現れているわけでは、ないようなのです。そこで、観測点を、広域に広げる必要が、出てきます。この観測点が、からだでは、指標、というポイントに相当します。この観測地点としての指標は、定点観測用のポイントなので、老若男女、で違う場所になることは、ありません。自然現象を、捉えようとする場合、観測地点が、ものによって、その都度変わってしまったのでは、変化を、捉えることが、できないからです。この定点観測の、データの蓄積こそが、より正確な予想へと、近づくことになるのです。こうしたパターン認識の集積を解析したものが、セオリーと、なるのです。自然を捉えようとしたときに、分析して捉えるのか、分類して捉えるのか、の違いになってくるのです。

今日の基礎集中・臨床研修講座より