臨床研修より

肩凝りがない、っていう人は、意外に多いのです。
治療にくる患者さんの、肩を触ってみると、見事といえるくらい、カチカチに硬くなっています。ところが、本人は、私、肩凝りないんです。と言います。
ここに、人のからだの不思議があるんですね。肩が、両方カチカチに、硬く張ってしまうと、どうやら私達の脳は、肩凝りを認識しなくなって、しまうようなのです。
もちろん、認識しないからといって、からだが、良い状態ではないのは、言うまでもありません。
凝っている、とわかるのは、実は、すぐ横に、凝ってないところが、あるからなんです。私達は、比較ができないと、違いがわからないのです。
これが正しい、と言えるのは、正しくないことが、あるからなのです。正しくないことがないと、正しいことも、認識できなくなってしまいます。
認識できないことは、存在しないのと、同じなのです。
そうなると、良いことも、存在しなくなってしまいます。相手を、全否定してしまうと、自分も、いなくなってしまうのです。
硬いは、柔らかいの隣にいて、痛いは、痛くないの隣にいて、笑いは、涙の隣にいて、幸せは、悲しみの隣にいて、どちらかだけを、消そうとすると、欲しいものも、消えてしまう。
陰陽のセオリーは、そうなっているのです。痛みが存在することで、自分の姿を知ることもあります。