我を、捨てれば捨てるほど、運気が変わります。
あれもこれも、すべて、我、なのです。
私は、小さなころから、我、の強い子供でした。とにかく、言われ通りにする、ということに、極端に、抵抗を示しました。
みんなが行く、といえば、一人、別の道へ行ってしまう。そんな、厄介な子供でした。それで、大人になっても、そのことが、変わらず、その結果、どうなのか、と言えば、当然、目立ちますし、そして、毎回、何かがあると、必ず、私が、怒られていました。
いわゆる、貧乏くじをひた、状態が、ずっと続くことになっていたのです。
なぜ、こんな話をするのかと言えば、治療をするようになって、わかったことが、あるからなのです。
病気、というものは、病(やまい)、と、気(こころ)が、リンクしたときに、初めて、病気になるということなのです。そう、病んだ、だけでは、決して、病気には、ならないのです。
では、何が、病気にさせるのか?
その答えは、もちろん、気、です。まさに、病は、気から、の気です。
そこで、気持ちの問題、ということになるのですが、では、どんな気持ち、の問題なのでしょうか?
それが、最初に出てきた、我、ということになるのです。
我を張る、我を通す、自我、の、我、です。
人のからだを、治療していくと、最後に行き着く壁が、あることに、気が付きます。それが、自我、という、我、の壁なのです。
からだは、あるところまでは、いくらでも緩めて、楽にしていくことができますが、そこから先は、こころが、変わらない限り、柔らかくならない、というところに付き合ったってしまうのです。
私たちは、それこそが、病気の本質、その人自身の真の姿、だと考えています。
人は、自分の最も、触れられたくないところに、触れられると、とても嫌な思いをするだけでなく、強い痛みを、感じたりします。このことを、癪にさわる、と言います。
この癪にさわる、癪は、実は、からだに、コリとして表れています。
日常、よく見かける、峠道でお腹を押さえて苦しんでいる町娘は、この持病の癪が、痛んでいるものです。
我が、強くなると、癪が大きくなる。我が弱くなると、癪が小さくなる。という、相関関係が、あるのです。
今になって、見てみると、人の、我が、よく見えます。もちろん、自分の我も。
病気、仕事、恋愛、運勢、どれも、すべて、我、の問題なのです。
私は、鍼灸の治療を受けていると、運気が、上昇すると、思っています。理由は、癪にさわるの癪、つまり、我、に焦点を、当てている治療だからです。
また、最終的には、そこから、治っていかないと、本当に、治るなんてことは、起こらない、そう思っているのです。
人によって、こころが変わる、きっかけとなるものは、違うと思いますし、鍼灸の治療で、すべてが、解消されるとも、思っては、いません、が、
我を、捨てれば、捨てるほど、運気が、変わり、人生が、面白くなることは、間違いない、とも思っています。
まさに、すべての病は、気(我)から、ということです。