基礎の難しさ

基礎集中コース始まりました。

今日は、自己流にならないことの、難しさについての、お話しです。

学生セミナーなどで、刺入練習をすると、面白いことに気が付きます。それは、2年、3年と学年が上がるに連れて、鍼が入らなくなっていくのです。

ところが、1年生が、意外にもすんなり刺入したりします。いつも、最初に入るのは、1年生なのです。

なぜでしょう?

答えは、簡単です。1年生は、言われた通りにやるからです。

それしか知らないのだから、言われた通りにするのは、当たり前の話しです。が、

人は、言われた通りにしないものなのです。

2、3年生にもなると、自分の鍼のやり方が、出てきます。

説明を聞いてはいても、なんとか鍼を入れてやろうと、ついつい余計なことをしてしまうのです。

考えてもみてください。先生達は、鍼を入れさせようとして、やり方を教えています。

わざと、やりにくいことをさせているわけでは、決して、ありません。

経験上また理論上、これが最適だと思うことを、させようとしているだけなのです。

そのまんま、やりさえすれば、うまくいくやり方を。

そうなのです。もうすでに、刺入練習の段階で、ほとんどの人が、言われた通りにしないのです。

書道家は、みな楷書を学び行書、草書と、基礎があるから、崩された文字に味わいが出るのでしょう。ピカソも優れたデッサン力あって、私達の知るような、あの作品になっていきます。

自己流の基礎、というのは、有り得ません。これは、すべての技術者に共通していることです。

初めは、いかに自己を無くして、徹底して基礎を、身体に染み込ませるか、

技術を、我が物、にするには、それしか道は、ありません。

個性は、その先の話しです。

講師の先生達は、小林詔司という、基礎を共有しているから、一見個性的に見えても、すべて同じ積聚治療だと言えるのです。

事実、講師全員、同じだと思っています。ですから、どの講座に出ても、問題があれば、必ず同じことを言われるはずです。

そこを共有していないと、積聚治療をしているとは、言えません。似て非なるものなのです。

器用な人や、優秀な人ほど、自己流になりがちです。

でも、残念ながら、それは遠回りだと言うしかありません。