腹のうちを探る。という言葉があるように、こころの変化というものは、お腹に現れている、と考えています。東洋医学では、腹診といって、お腹の状態を確認して現在のからだ全体の様子を診断していきます。すると面白いことに、お腹は自分の外からの刺激に対して、敏感に反応していることがわかります。
その時のこころの持ちよう、または感情ということでしょうか、細かな動きに合わせて、実に細やかにお腹の表情を変えてくるのです。そして、よく観察してみると、表情をころころ変えるところと、変えないところが、見つかります。変えないところ、すなわちそこが、その人の、腹のうち、の本丸なのです。
つまりそこは、どうしても譲れない、と思い込んでいる、執着のこころが、からだという、三次元の物質に映り込んだ、こころの象徴なのです。それは、無自覚のうちに作られた、筋肉の緊張だとも言えますし、無意識の作り出した力み、だと言うこともできます。
ただ、それもこれも、すべては、こころとからだのバランスを保つための、防衛反応に違いありません。からだに力を入れて、そこに立っているしかなかったから、からだは塊まで作って、バランスを取ろうとしたのです。そこで、からだを見ることができる人は、からだから、変えていきます。
からだが緩むことが、こころが緩むことだとわかっているから。誰も、張りたくて我を張っている人はいないでしょう。そうせざるを得ないから、そうしているだけなのです。体操をしてもいい、治療をしてもいい、なんでもいい、からだがほぐれる感じがするなら、好きなものをすればいいのです。
お坊様のように、自分の執着を捨て我をなくせば、確かにからだの塊は、無くなるのかも知れません。ただ凡人の私が、執着を捨てられるか、と問われると、テヘペロ、ってなります。そこでです。私たち凡人も唯一手にしている、自然界の叡智に自動的にアクセスできるマシーン、その名も、からだ一号。
28号でもいいのですが、とにかく、こっちから、こっちから、いってみてはどうでしょうか。深層意識に働きかけるとか、内なる自分にとか、色々ありますが、そもそも、常に無意識の中で動き続けているのが、からだであり、やってみると、一番簡単に、呼びかけに答えてくれるのも、からだ、なのです。
からだ、は素晴らしいですよ。全部、からだに聞いてしまえばいいと思いますよ。速攻で教えてくれます。いや、いつも、毎日、常時、教え続けています。聞いてないだけです。また意外に治療の専門家という人が、聞こえていなくて、芸術家の人たちは、ものすごく聞こえていたりして、本当に面白いです。