今日の積聚治療研修所より
治療をすることは、難しい。何年たっても、悩むことばかりだ。
いつも、もっと上手になりたい、もっと良くしたい、
自分は、なんて鍼が下手なんだろうって、
ずっと、考えている。
上手い治療を見ると、特にそう思えて、切なくなってくる。
世の中には、生まれ持っての治療家がいて、治す苦労など関係なしに、バンバン治療をしている、
と、思いたくなるが、
あの、天才イチローも、子供の頃から毎日、バッティングセンターに通って、人の何倍も練習していたという。
人をうらやむ前に、自分は、それだけの努力をしてきただろうか?
ふと、本をめくったときに、書いてある治療の仕方を読んで、がく然とすることがある。
なんで、もっと早く勉強しなかったのだろう。あの時に、この方法を知っていれば、助けられたかも知れない。
後悔するのである。
冷静になれば、例え知っていたとしても、どうにも、出来なかったに、違いない。
だが、それでもなお、治療家は、後悔するのである。
今、学んでいるのは、その先にいる患者さんのため。
治療家になって、帰ってくるのを待っている、たくさんの患者さんのため。
決して、自分のためじゃあない。
ありがとう、楽になりました。
という、患者さんの喜びの、さらに向こうに、
自分を支えてくれる家族の、喜びがあり、
そのさらに向こうに、自己実現と、自分の存在価値が、あるのだろうか。
だれも、はじめからできれば、苦労はしない。技術は、泥臭い基礎の上にしか、花を咲かせないのだと思う。
イチローの真似だけしても、だれもイチローには、ならない。
身体で、繰り返し基礎を覚えるしか、技術を身に付ける方法は、ないのである。
頭で、考えて身体が、動いているようでは、プロとしては、難しい。
今、必死になってやらなければならないのは、
積聚治療の、理論も、実技も、身体に染み込ませて、
身体で、治療を覚えること。
いい、と言われるまで、やり続けること。
最後まで、絶対に妥協しないこと。
必死になってやったとしても、
それでも、治療家は、患者さんの後ろ姿に、
後悔するのです。