意識を使うには肉体が必要です。(なぜ人には肉体があるのか)
今回も結論からいきます。人を治療するということを突き詰めていくと、最終的に、意識、というところに行き当たります。例えばそれが、東洋的な治療であろうと、一見、それとは対照的だと思われている西洋医学的な治療であろうと、突き詰めていくと、その人が、いったいどう考えているのか、という個々の意識の問題になってしまいます。
だいぶ端折って言いいますが、物質が生み出される、ということついては、ミクロでもマクロでも、螺旋運動が、そのすべてを生み出す働きをしている、ということのようですが、とりあえず今回、そこは触れずに置いておくとして、その前に、なぜ、意識は、ものを生み出さなければならなかったのか、というところを、少し考えてみたいと思います。
E=MC2 さて、意識というのは、過去現在未来、また遠近など、遮るものがなにもないように自由に駆け回ことができる、まるで質量が0の物質の振る舞いのようです。それは、多次元を行き来するグラビトンのようでもあります。質量が非常に軽く、弱い力でありながら、無限の到達距離持ちます。
そこで、この意識にエネルギーを与えるためには、何が必要なのか考えてみます。そこで先の式から、答えのヒントを探してみます。すると、すぐに質量が答えだと気がつきます。意識を、エネルギーとして使えるようにするためには、質量、つまり肉体が必要だったのです。これが、私たちに、からだが必要な理由なのだと気がつきます。
であるとすれば、肉体を十分に使えるように、活性化すること、それが、意識がもたらすエネルギーの値を、あげていくことにつながると考えられます。脳は、運動することによって、海馬の重量を増やし、神経細胞を新生することがわかっています。
意識エネルギー(意識とエネルギーを一緒にしている時点で誤り)の力を高めたいと思う人が、意識ばかりに焦点を当がちになりますが、それではエネルギー値が、思うように高くはなりません。掛け算をする肉体の側の値が、低いままでは、当然、掛けた値も低くなってしまいます。
では、肉体と意識を掛け合わせるとは、どういうことを指して言うのでしょう。例えば、一流のスポーツ選手がそれにあたります。自分の意識の使い方と、肉体の動きがマッチしている状態です。そこには無駄な動き、つまり意識とマッチしない動きが、非常に少ないので、意識の消耗度も少ないのです。
また、治療も同じです。非常に優れた治療家は、患者の肉体と意識のずれを修正していきます。このずれが患者の消耗度となり、心とからだの疲労につながっていくのです。そうしたことのできる治療家は、一様に治療の時間が短く、無駄な動きや余分な治療がありません。
そう考えれば、肉体の側の方を、自分の思い通りに十分、使えるようにすることの方が、むしろ、エネルギー値を上げるための近道、なのかも知れません。言ってみれば、誰もが皆、同じ分量だけの意識を持ち合わせているのだから(60兆の細胞)、掛け算の値を大きくするためにすべきことは、実にシンプルです。
こうなってくると、ヨガであり、座禅であり、いわゆる修行というものが、なぜ肉体を酷使しようとするのか、理由がはっきりとわかってきます。そして、その結果、何を得ようとしているのか、また得られるものは、なんなのか、これまた、はっきりと見えてきます。
また同様に、意識の側の訓練だけをやり、肉体(質量)の側の訓練をしなかった場合、一見、エネルギーを使えているように見えていたとしても、式から導かれる意味合いは、肉体(質量)が、反比例的に減少していき、やがて極限まで0に近づく、ということが容易にわかります。
意識と肉体は、相乗効果でエネルギー値を高めますが、どちらか一方では、不十分なのです。世の中には、治療、ヒーリング、エネルギートレーニングと称するものが、たくさんあります。でも、もしそれをやっているのにもかかわらず、エネルギー不足が気になるのであれば、この意識と肉体のずれが、修正できていない可能性があります。中谷哲