基礎集中・臨床研修

今日の仕事場の前には、バス停がある。
曇りガラスを隔てて、次のバスを待つ人達のシルエットと、聞こえるか聞こえないかの絶妙な距離感の話し声が、治療する方とされる方の間に、なんとも奇妙な安らぎを作り出して、音の持つ不思議な意味を思い浮かべたりする。
ここのところ、とは言っても、私がここに来るのは週に一度であるが、毎週、母親に叱られている、おそらく幼稚園位の子供のシルエットが、同じ時間に浮かび上がる。
仕事場の前に置いた、つるを伸ばし育ち始めた瓢箪の葉っぱに、叱られながらそっと手を触れてみる、そんな姿が今日も映し出されていた。
どうにもできない感情って言うのがある。子育ても、介護も、これを考えたらおしまい、そう理性が斜め上から話しかけてくるけれど、それを考えないでいられる人が、世の中にいるのだろうか。
そんな中でも、子供は無意識のうちに知っていた。たまってしまったエネルギーを放射する最も良い方法を。
それは、他でもない葉っぱに触れる、ということなのだ。雷が大地にそのエネルギーを放出するように、植物につながることで、不要なエネルギーは、地球に吸収されていく。この行為そのものをさして、アースする。と言うのだ。

さきほどから、雲が大地にメッセージを送り始めたようだ。バス停に立つ人のシルエットに、傘が加わった。

今日の臨床研修より