今日の臨床研修から
現代の東洋、西洋、共に医療は、生を目指して、その理論と処置が組み立てられているといえるでしょう。
そこから積聚治療を振り返って見てみると、大きな違いに気が付くはずです。
積聚治療の前提には、死があります。
私達すべての生命は、一瞬たりとも立ち止まることなく、死に向かい冷え続けている。
生、老、病、死、
常に変化している存在なのです。
易は、そのことを私達に教えてくれるのです。
死は、元々約束されたものです。
過去、人は自然に死んでいきました。なんの医学的処置を施さなくとも、八割は苦しまずに、まどろみのなかで死を迎えるといいます。
ところが現代、八割が苦しみのなかにいるといわれます。
生を、前提に据えてしまうと、必ず、歪みが起こるのです。
私達は、死ぬ存在だから、
それは、自然な流れではないのです。
なぜ、積聚治療を理解できる人が少ないのか、
医学の教育に、一つの原因を見出だすことができます。
まずは頭の中を空にしないと、真の姿は見えてきません。