ふる血(おけつ)がたまるってどういうこと。
例えば、机の角に足をぶつけたりすると、あざができますね。皮膚にできる紫色のやつです。静脈の血液が皮膚の下に漏れ出して、うっ滞してしてしまっているために、そこに血液の色がとどまって見えているものです。
基本的には、そのような打撲のあざは、時間の経過とともに消えていきます。打撲したところも修復されて、元の通りになっているように見えます。それで、後日なんの不調も出ないようであれば、問題は何もありません。
ところが、こんな人がいます。季節の変わり目になると、古傷が痛む。とか、寒くなったり、湿気が多くなると、昔手術した後が、ズキズキする。とか、もうとっくの昔に治っているはずの、古い傷や打撲の跡が、まだ治っていないかのように、痛んでくるというのです。
こういうのを、その場所にふる血(おけつ)がたまっている、というような表現をします。正確に東洋医学的に言うと、少し違うのですが、それは別の機会にして、とりあえず、イメージ的に昔痛めた悪いものが、そこに残ってしまっているような感じでしょうか。
じゃあ、いったい何がそこに残っているのでしょうか、傷はもう治っているのだから、肉体的な問題では、なさそうです。そこで、考えられる一つの可能性として、記憶、というものを上げることができます。前回、細胞の一つ一つが、意識をもって、まるで記憶しているかのように振舞う、という話をしました。
つまり、痛めた個所の記憶が、残っている。ということになるようなのです。それが脳の中であったり、または、からだ全体の記憶かも知れません。バランス、ということから考えれば、からだの記憶ということも、十分考えられることです。
それが、ふとしたきっかけ、例えば季節の変わり目のようなことで、思い出されるのではないでしょうか。それもまるで、今、傷があるようなリアリティーをもって、よみがえります。もちろん、きっかけは、様々です。今の気持ちが、痛めた時の気分と同じなのかも知れません。
ただこれは、単純に思い出だけの痛み、ということではありません。記憶の中の痛みが出るのと同時に、からだもその気になっているので、初めて痛めた時と同じくらい、からだのエネルギーを消耗してしまいます。これは、非常に重要な問題です。
そんなからだの記憶で、一番経験するのが、腰痛、ということになります。腰痛は、原因の80%が不明であり、感情の起伏に多分に左右されることが知られています。たまたま、今の感情と、腰痛の記憶がリンクしたら、大して動いていないのに、まるで今痛めたように、強烈な痛みがよみがえってくるのです。
何度も繰り返す痛みが、記憶だとしたら、どうしたらいいのでしょう。その答えは、そこは、もう治っているよ、というメッセージをからだに理解してもらうことです。例えば、お灸や鍼は、そうしたメッセージを伝える役割をします。
人工的に作った微細な傷を確認に来た免疫細胞が、ここは大したことない大丈夫だ、と判断してくれると、古傷は全く疼かなくなります。実は、どんな方法でも、からだの記憶を書き換えることができれば、それで十分なのです。
今回は、梅雨に入って湿気が多くなり、古傷が痛む、という患者さんが多かったので、そんなお話をしてみました。中谷