基礎集中・臨床研修講座

今の状況を、山登りに例えれば、まだ、途中なのです。

当然、頂上の景色が、見えているわけでは、ありません。むしろ、視界は、限りなく不明瞭でしょう。道は、木々に覆われ、岩もデコボコ、歩きにくいこと、この上ない。

意気揚々と、登り始めたのに、この道を選んだ、自分を後悔しているかも知れません。

でも、すべてが、まだ、途中だ、ということなのです。

上を、上を、見ながら、ただ、なにも考えず、歩き続ければ、必ず、頂上にたどり着きます。

けれども、先の不透明さに、不安になって、脇道に逸れたり、登るのを、止めてしまっては、頂上からの景色を、望むことは、叶わないでしょうし、たとえ、頂上に、到達できたとしても、それは、かなりの遠回りを、余儀なくされるでしょう。

その上、山に登らない人からは、山の怖さや、辛さを、とうとうと、聞かされます。
また、ある人は、そちらの道は、違う、こっちが正しい と、親切にも、教えてくれたりします。

でも、考えてもみてください。

山梨側から登ろうが、静岡側から登ろうが、登り始めは、全然違うことを、しているように見えても、富士山は、富士山です。最終的には、同じ場所に、行き着いて、同じ景色を、見ることになるのです。

必要なことは、たった一つ。ただ、歩き続けることだけ、なのです。

人生には、時に、遠回りも必要である。とは言うものの、できることなら、最短距離で、行きたいものです。遥か彼方を遠回りしてきた、私が言うのも、憚られますが、そう思うのです。

今、ぜんぜん関係ないと、思えるような場所にいても、それが、自分が選んだ、頂上への道です。つまずいた石を、思い返しても、先が、木に覆われて見えないと、心配してみても、時間のロスには、なりますが、前に進むことにならないのは、一緒です。

つまり、悩んでみても、マイナスにはなるけど、プラスになることは、全くありませんよ。と言うことです。

どうせ登るなら、

なにも考えずに、ただ、登ることだけを、楽しめばいいのです。それが、最短距離だと、わかっていますから。

ここでは、根元からの理解を得るために、今まで、囚われていたもの、すべてから、解放していきます。

今日の基礎集中講座より