例えば、圧痛があるところがツボです。と言うと、みんな圧痛しか探さなくなります。虚しているところと言えば、そんなところだけを探すことになるでしょう。
でも、実際のツボは、痛いところもあるし、虚しているところもある。スジスジだったり、膨らんでいたり、いずれにしても、全てがツボの反応であり、どれか一つの反応だけを選んで、それがツボである。とは言えないのです。
ですから、言葉で表現するにはちょっと無理があります。指先に触れるツボの感覚を記憶してもらうしかないのです。
脈診についても同じことが言えます。脈から得る情報を、脈拍の回数だけに限定してしまえば、そこからは、何回拍動したかという結果のみを知ることになります。しかし、脈を拍動のみとしないで、もっと多くのことを含んでいる体の中を知ることができる情報源だと認識していれば、同じ拍動をみているように見えても、得るものが全く違うということになります。
物事は、見る側の認識力の差によって、全然別物になってしまうこと意味しています。
そうなのです。私達は、一見同じ世界に暮らしているようでも、一人一人別の世界に生きてるということになのです。
今日の基礎集中講座から。(基礎集中講座は年に二回開講しています。11月講座より。)