第2章目の文章です。かなり意訳しましたが東洋的な価値観がよく表れていると思いません?私、大好きなんです。まぁ、『老子』ですから無為の「道(タオ)」について書かれているので当然といえば当然なのですが、「陰陽論」に置き換えて読むことが出来ます。
ここでは人の「好きと嫌い」「善と悪」「美しいと醜い」「長と短」「吉と凶」「健康と病気」などの判断は、二元的な対比で語られています。物事というのは比較することで価値が決まって、片方が存在しなければ、もう片方の価値が決まらないということです。
もし世の中に「頭のいい人」ばっかりだったら、有難味がないですよね。「頭の悪い人」がいることで初めて「頭のいい人」の価値が出てくるんです。
この後に「不言の教え」を説く聖人が登場します。
「ことば」というのはもの事を区別するために付けますが、こっちが陰こっちが陽といったラベルを貼るようなものです。
しかし万物のあり方は違います。人間の好悪に関係なく、ただ存在するだけです。
聖人も同じで、分別せずに「無為」で何も語らず教えを説くのです。
これはすなわち陰と陽の二元的な発想の奥に太極という本質が隠れているということです。